カトリック逗子教会

【遺言(復活節第5主日5月19日説教)】


主任司祭 鈴木 勁介



イエズスさまは いよいよ十字架を覚悟なさったという感じがこの言葉の響きからも少し感じ取れるかもしれません。今や人の子は栄光を受けた、すなわち、み旨は実現した、その思いの中で弟子たちに残された言葉が「互いに愛しあいなさい」だった。弟子たちは直接そのイエズスさまの言葉の響きを聞いているわけですから、その重みをあるいは私たちとは少し違った形で受けたかもしれませんが、その後の教会の動きを見ても、やはり結局はこの事に尽きるのだと。互いに愛しあう事、それが救いの完成なのだと、そう思わざるを得ません。「互いに愛し合いなさい」とそう仰るからには、必ず神さまはその恵みをお与えになるんだという事も併せて心に留めておくことが大事だと思います
今、この地上の時間の流れの中ではすぐに完全な形で愛しあうということが実現しないと経験しているとおりです。ユダが裏切ったこともその一つの表れでしょうし、ユダヤ人たちが中々この救い主を受け入れなかったという事も、一つの歴史の流れ、この地上での歩みで、どうしてそうなるのか、神さまだけがご存知といえる事です。そういう不完全な中でも、必ずその「互いに愛し合う」という救いが 実現するのだと、その恵みが与えられているのだという事もこの「人の子は栄光を受けた」「神は必ず人の子に栄光をお与えになる」という言葉にも出ているように思います。
葬儀の時に ヨハネの黙示録が読まれることもあります。今日の箇所です。「わたしは万物を新しくする」神はそう仰る。その事が私たちにとって一番大きな頼りです。だから 互いに愛しあうという事を大事にしましょう。不完全にしか実現できなくてもいつか それは神が完成されるのだと。だから、もっと身近な事についていえば、罪の赦しの秘跡を受ける時も結局この一点が大事だということ。私たちが、赦しの秘蹟を受けるとき、愛したか・愛さなかったか、ということが一番振り返るべき大事なことでもあるでしょう。そして愛する恵みは、必要な時に与えられるのだと
その意味では、愛することに失敗することが度々あるのも、神さまはご存知のうち計算のうち、というのも変な言い方ですけど、そういう事を経験しながら これを実現していくのだという希望を新たにしたいと思います。
(教会報誌「潮路」 第371号 2019年6月1日発行 巻頭言より)