カトリック逗子教会

【神様の光(2018年主の降誕10時ミサ説教より)】


主任司祭 鈴木 勁介



クリスマスの日には必ず、このヨハネの福音が読まれます。何度読んでも、やっぱり難解だな、難しい言い方だなと思いますけれど、まあ、なんとなく解れば良いのかなという気もします。だいたい神様のことを人間が言葉で表現するんですから、そんなに良く解るように、しっかりとは言い切れないものでしょう
光は暗闇の中で輝いている。このイメージがクリスマスの日には、夜のミサでも読まれますけれど、考えてみれば不思議です。光が闇に輝いている?闇はどこへ行っちゃったんだという気もしますけれど、なんでこういう不思議な言い方が出てくるのかなあと。私たちが神様の光というときに、まばゆい光を最初にイメージしてしまうことがあるかもしれませんけれど、もしかすると神様の光って、私たちのそういう考えとは少し違う面もあるんじゃないか?
河合隼雄さんという心理学者が、もう亡くなりましたけれど、昔紹介していたお話しで、私にとってはとても印象的なので、今日お話ししますけれど、漁師たちが漁をするために沖に出ていた。しかし日が暮れて、もう帰らなければならないと思ったんだけれども、どっちが陸の方向なのか分からなくなってしまった。一生懸命目を凝らして明かりを探すわけです。きっと明かりのある方に陸があるに違いない。一生懸命探すけれども良く分からない。その時一人の漁師が言ったそうです。「みんな目を瞑れ」しばらく目を瞑ってから目を開けると、ボンヤリと明かりが見えるという程ではないけれど、明かりを感じることができたんだそうです。「アッきっとあの方向だろう」ということで、船をその方向に向けて帰ってきたという。まあそれだけのお話です。説明しなくても解る方はそれでよいのですが、人間は、やっぱり自分の力で、なんとか先を見よう、目的を達していこうとするわけですけれど、そうやって出来る程度のことは良い。本当の人生の大事なこと、大きなことは、結局、神様にお任せしなければ私たちには解決できない。そんな私たちを救ってくださる。そういう救い主なんだという。私たちは自分で探すとか、自分で何かをしようとしているうちは見えないけれど、目を瞑った時、言ってみれば、神様にお任せした時初めて見えてくるそういう光、救い。それが人間の一番救って欲しいことなんだ。そういうことを暗示するお話しで、じゃあ今度困ったときは目を瞑ってみようと思っても、なかなか出来るものじゃない
 どうしても人間は、自分の力で何かしようとしてしまう。でも、アァお任せするしかないとか、お任せしようと、そういう恵みの時というのは、やっぱり神様が用意して下さる。だから、それまでは色々ジタバタすることも多いんでしょうけれども、そういう恵みは、この救い主の誕生によって示された神様が与えてくださる。その希望を新たにすることができればと思います。
(教会報誌「潮路」 第367号 2019年2月1日発行 巻頭言より)