カトリック逗子教会

【新しい祈願日について】


主任司祭 細井 保路



今年から年間第33主日が「貧しい人のための世界祈願日」と定められました。制定にあたって発表された教皇メッセージの抜粋を掲載します。
「子たちよ、言葉や口先だけではなく、行いをもって誠実に愛し合おう」(Ⅰヨハネ3・18)この言葉は、キリスト者が決して無視することのできない命令を示しています。
聖霊は、貧しい人に奉仕するためにあらゆるかたちで人生を捧げるよう、人々を駆り立ててきました。とりわけ際立っているのは、アシジのフランシスコの模範です。彼はハンセン病者を「抱きしめ」、「施し」をするだけでは満足せず、彼らと「共に生活する」ことを決意しました。
もしキリストに会いたいと真に望むなら、聖体のうちに与えられる秘跡的な交わりへの応答として、私たちは貧しい人の傷ついた体の中におられるキリストに触れなければなりません。聖なる典礼において裂かれたキリストの体は、最も弱い立場にある兄弟姉妹の顔と人格の中に、分かち合いという愛のわざを通して見出すことができます。
キリストの弟子にとって、貧しさとは、「貧しいイエスに従うという召命」にほかなりません。それは天の国の幸いに向かう旅において、イエスの後を、イエスと共に歩むことです。貧しさとは、自分自身が限界と罪をもった被造物であることを受け入れ、自分が不滅であるかのような錯覚を起こさせる、全能への欲望に打ち勝つことのできる謙虚な心を持つことを意味します。貧しさは、金銭やキャリア、贅沢が人生の目的や幸せの条件であると考えない内的姿勢です。貧しさはむしろ、神はすぐそばにおられ、恵みによって支えてくださることを信頼しながら、自分自身の個人的、社会的な責任を、限界を抱えながらも無償で担うという状態を生み出します。このように考えると、貧しさとは、物的材を適切に使っているかどうか、さらには寛大で無欲な気持ちで人間関係を築いているかどうかを推し量る尺度であることが分かります。 私は世界中のキリスト教共同体を、最も小さくされた人々と最も困窮している人々に向けられたキリストの愛のより具体的で大きなしるしとするために、「貧しい人のための世界祈願日」を新たに加えたいと思います。それにより、貧しい人に優先的に向けられるイエスの愛という、福音に完全にかなった要素が加えられることとなるでしょう。 この祈願日は、使い捨てと浪費の文化を否定し、出会いの文化を受け入れるようキリスト者を励ますことを第一の目的としていますが、それと同時に、兄弟愛の具体的な表れであるあらゆる連帯活動を通して、貧しい人と分かち合うよう宗教の別にかかわりなく全ての人を招いています。
(教会報誌「潮路」 第355号 2017年11月1日発行 巻頭言より)