カトリック逗子教会

【氷山】4月4日(日)(復活の主日)


主任司祭 鈴木 勁介



ご復活の祝いの折、私たちは「おめでとう」と挨拶しますけれども、その言葉の裏には、信じられないような、そんな思いもどこかにあるわけです。
人間が復活するってどういうことなのか?信じられないようなできごとであります。でもまあ、弟子たちもそうでしたし、私たちもそうであるわけですけれども、なんとなく、何処かで解るといいましょうか、信じている、そういう部分があることを、おそらく誰でも自分の中に感じるものがあると思います。
だから、やっぱり信仰っていうのは氷山のようなもので、自分で意識したり語ったりできるのは、その目に見えているほんの一部分のことしかないわけです。でも、その部分では、信じられないような思いも含めて、いろんな思いや、理解がそこにある。だから私たちは、信じていないということではなくて、目に見えない部分で信じているから、何とかなっている。大丈夫ということなのでしょう。
私たちが意識している部分では、本当に信じていないかのようなことが いっぱい出てきます。神様がついているから大丈夫 、いつお迎えが来てもいいと思いながら でもコロナにかかて死んだら困る とか 風邪をひいたら すぐお医者さんのところへ行く とその他にも いろんな形で私たちは 信じていないかのような行動をとりますけれども しかし本当は見えない部分で 私たち自身も意識していない部分で 信じていることがあるのだとそれはいろんなところでしるしを見ることができるのでしょう。
信じていなければ、 本当は一日だって人間は生きてはいけない。神様にお任せしていなければ生きてはいけないということがいろいろあります。夜眠る時 、明日の朝目が覚めなかったらどうしようと考えたら眠れなくなっちゃうわけですけれども、でも人間はきちんと眠るし、そして翌朝目覚める そういうような小さな、復活に例えられるようなことというのはいいっぱいあって 冬に葉が落ちても春になると、また若葉がよみがえってくる。それも小さなしるしの一つでしょう。
そんな具合に 私たちの信仰、意識している部分は大変頼りないものであっても 信じている 。だから何とか「おめでとう」という言葉も言える、 本当に信じていないのだ だったら 「おめでとう 」なんてとても言えない言葉でしょう。でもどこかで信じている 。そういう信仰を神様は受け入れてくださっている 。だから、私たちでも何とかついていける、生きていける、大丈夫なのだと、そんな思いで、また新しい命を生きて行きたいと思います 。

(教会報誌「潮路」 第385号 2021年4月15日発行 巻頭言より)